借金でタイ、ラオス1ヶ月旅へ

借金でタイ、ラオス1ヶ月旅
大学3回生の夏休み
大学生3回生の6月に初めての旅にでました。
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そのときは、大学生3回生の10月から就活が始まっていました。大学生3回生の夏休みが人生最後の休み。っていう雰囲気が皆の中にありました。
遊ぶのも最後で10月から就活だねーという感じで。
僕は就活するのは本当に嫌だったけど、皆がするからしないといけない。
そんな固定概念の塊やろうで、”皆と一緒”の魔法にしっかりかかっていました。
最後の夏休みなら、また旅にいきたい。
そう思ってタイとラオスに1ヶ月でいこうと決めて、その時の彼女からお金を借りて友達と2人で行ってきました。
友達がデング出血熱で死にかける
タイ、バンコクから入り、北に進み、ラオスに入りそっからまたバンコクに戻ってきて1ヶ月の旅。
友達と2人での旅は最高で、毎日楽しい!
毎日飲んで騒いでいろんなところに行って最高ーって感じだったんですが、
チェンマイで友達がいきなり40度の熱を出して、病院へ。
デング出血熱という蚊に刺されてなる病気で死傷率10%を超えるかなりやばめの病気になり、1週間入院したのち日本へ強制帰国となりました。
今では友達といい思い出やけど、そのときは本気で死ぬかもって思ってビクビクしました。
一人旅で新たな出会い
チェンマイから1人旅に変更になり、タイのパーイというまちに行った時、日本人がほとんどいないところでただ1人その時いた日本人がアキさん。
年は1つ上だけだったけど、高校生でアメリカ留学をしていて、英語はペラペラで今まで出会った人と違う価値観を持っていました。
2日間くらい一緒に過ごす中でアキさんが世界中の外国人の旅びとと仲良くなるなかで僕は英語が話せず一切コミュニケーションが取れず、悔しい思いをしました。
輪の中に一切入れず1人いじけてる感じw
日本語だったら絶対に輪の真ん中で話せるのに、全然相手にもされない。何言ってるか一言も聞き取れず悔しかったです。
アキさんはその時一切通訳なんかしてくれず、英語くらい話せよ。そんなん世界の若者からしたら当たり前やろ。と言われたのを覚えてます。
英語話せず旅しててなにが面白いの?
日本人だけとしかコミュニケーション取れずにその旅って意味あるの?って感じでした。
アキさんと出会って、英語話せないなんかありえないっていう世界の基準を見せてもらって、これは駄目だ。。。と強烈に思ったのを覚えてます。
ヨーロッパの人はほぼ100%英語話せるし、現地の若い子も英語話せる子多いし、全く英語話せない日本人旅人は多かったけど、彼らは日本人のグループでいつもいる感じで、違和感を覚えて出してました。
絶対に世界の人を笑わせたい。
大阪人の笑いが通用するかやってみたい。
世界中の人とコミュニケーションを取ってみたい!
アキさんと出会ったことで英語の必要性を強烈に感じる事ができました。
ラオスで新しい選択肢に出会う
アルファベットも最後まで読めないような状態で英語話せるようになるのかなーと思いながら、アキさんとはなれてラオスへ一人で向かいました。
ラオスに入ってルアンパバーンでアキさんとまた道で会って、そこから何日間か一緒に旅が出来ることに!
そんな時にバンビエンのチューニングで、たくさんの人と出会います。
そこで初めて、ワーキングホリデーのこと、フィリピン英語留学が激安なことを知ります。
お金がなくても英語を学ぶチャンスがあるんだ!!
こんな道もあるんだと知ります。
アホな僕は英語留学して、ワーキングホリデーいけば、英語も勝手に話せるようになって、お金も溜まってまた旅が出来ると!思いました。
アキさんもワーキングホリデーに行こかなとその時言っていたので、俺も行こうって勝手に思っていました。w
1ヶ月の旅はそんな感じでたくさんの日本人の人と出会い、英語の必要性を肌で感じることが出来、また1つ新しい扉を発見してしまうという結果になりました。
本当に借金してでもたびに出てよかったと今思います。
1ヶ月の旅で学んだこと
世界の共通言語は英語で、英語が話せないと世界中の人とコミュニケーション取ることは不可能。
旅をもっと楽しみたいなら英語話せないとか論外!
ワーキングホリデーやフィリピン留学など、色んな方法があって、旅も色んなスタイルがあること。
就職なんか全くする必要がないこと。
(出会った旅人は就職もしてない人がいっぱいいて驚く)
帰国後
日本に帰って来て、就職活動が始まりました。
まだ僕の中ではワーキングホリデーもフィリピン留学も聞いた話で自分には無理だと決めつけていましたので、皆と一緒に就職活動を始めます。
リクルートスーツを買いに行き、会社説明会に行っていました。
どうしても旅がまたしたくて、英語も話せるようになりたい!って心では思っているのに、まだレールから外れる勇気がないまま時間が過ぎていきました。
自分ではまだ気がついていなかったけど、2回の旅で少しずつ人生が変わり初めて、自分の意志で人生を選択する勇気を得始めていました。
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