プロフィール

プロフィール

西沢 翔太郎 / 株式会社Funtoco代表取締役

平成2年3月生まれ。現在28歳。大阪生まれ大阪育ち。
大学を2年間休学してフィリピン留学3ヶ月,ワーキングホリデー1年,アジア旅9ヶ月。
2年間の旅後、大阪のベンチャー企業に就職。3年間働いたのちに退職。
海外からのお客様に日本、大阪を楽しんでもらえる場所を作ろうと株式会社Funtocoを26歳の時に起業。Funtoco Backpackers Namba ゲストハウスを大阪難波で開業する。
現在:新規事業を立ち上げ中。1児のパパ。

趣味:旅、筋トレ、読書、映画、海外ドラマ、スキューバダイビング 

ブログを始める経緯:出来損ないの私の人生を少しでも誰かに見てもらってなにかが起きるのか実験。

人生を楽しみ、誰かのためになることをしていきたい。世界から日本へ、日本から世界へ。




生まれてこれまでの人生

誕生~中学

大阪の東!東大阪に生まれました。大阪の中心から40分くらい電車で行ったところです。

生駒山が近くにあって、ローカルな大阪って感じでめちゃいいところです。

両親はごく一般的な昭和の家庭で、母は専業主婦、父はサラリーマン。

両親はちゃん私を育ててくれたと思う。なに不自由がなく大人になることができてとても感謝してる。

ただとりあえず昭和な家庭で、一番重要なことは”皆と一緒なことをしなさい。普通が一番。常識に従いなさい”という教育方針。

子供だったから違和感なく受け入れていたけど、今思うととても怖い。。w  この呪縛から解き放たれるのは20歳をすぎてからです。。。

小学生のころから運動が大好きで、バスケを小学高学年から初めました。とりあえずバスケ、サッカーなどの球技が大好き!
いつも元気で運動大好き!そんな小学生でした。

中学生はバスケ部に入って、最後はキャプテンもしましたね。

中学生のときは本気でバスケをしていて、毎日毎日練習を友達としていた記憶があります。

めちゃくちゃ熱中してて、バスケLOVEって中学生でした。この時の熱中してた気持ちを人生に欲しいと思うことがこの後いっぱい出てきます。w

高校生

高校生も同じくバスケ部でバスケを頑張る生活をしてました。

バスケがめちゃくちゃ好きで毎日何時間でもできて、本気で強くなりたいと思ったけど、高校は全然強くなくて、いつも悔しい思いをしてました。
この時思ったことが、環境はめちゃくちゃ大切。とりあえず環境が整っていれば基本的に問題ないと学びました。

それでも高校生生活はリア充でした。彼女もできて、勉強はせずに毎日バスケして、休みは友達と遊んでと、普通の高校生生活を楽しんでましたねー

勉強は全く駄目で、高校生から全く勉強をしなくなって、成績はいつもクラスベッタ。

受験前にアルファベットが読めないレベルで大学は絶望と言われたけど、なんとか半年勉強して近畿大学に入学。

受験勉強はストレスが半端なかったです。記憶力があまりないのと、2年間以上ほとんど勉強してなかったので、中学生のころのことも忘れてて大変だった記憶があります。

大学も別に行ってもいかなくても良かったし、なにもしたいことがないって状況で、皆いくから大学行くかって感じだったので、今思うととても馬鹿だなーと思います。

このころは一切人生について考えたり、新しい情報をキャッチしたりする力はなく、親の教えて通り”みんなと一緒のことをする”を思考停止状態でやってました。

本当に勿体ないなーと過去の自分に言ってあげたいくらいです。今もアホですが、ずっとアホだったなーと!w

大学生

近畿大学経済学部に入学。

マジで行く意味がない大学だと思います。 僕が行った4年間でまともに勉強してる人はいなかった。全員が単位を取るためだけに行って、先生も単位を上げるためだけに授業をするという環境でしたね。

大学生のときは勉強なんかする気なかったので、その時の私にとっては最高の環境でしたがw  テスト1日前に勉強すれば全ての単位が取れちゃうレベル。

めちゃくちゃテストが簡単で、内容も簡単でびっくりしたのを覚えてます。大学ってマジで意味ないやん。。ただ遊びに行く場とかしてました。

大学生の時はそこらにいるアホの大学生と同じ感じで、飲み会、バイト、パチンコ、麻雀、彼女と大学生ライフを楽しむって感じでした。

全く勉強もしないし、意識もダントツで低い。まず働く気とかもないし、遊んで一生暮らしたいくらいの気持ちでした。

起業したいと一秒も思ったことがなく、とてつもなく意識が低かったです。

大学生のうちでバイトは20個近くしたのですが、なかなか仕事が続かない人でした。

アルバイトの仕事って簡単すぎて、すぐにできるようになるので、すぐに飽きてしまって、仕事が適当になったりして、いつもシフト減らされて辞めさせられるパターンが多かったですw 

そんな中パチンコのバイトをしていた時に、そこで働いている社員さん達を見て、人生変えないといけないと思えることがありました。

30歳くらいの社員さんが何名かいたのですが、彼らはパチンコで毎日働いて、仕事が無い時はパチンコうって、なんか見ててとても悲しかったんですね。

しかもその人達に、僕はやる気ないからクビみたいなことを言われて、これはやばい!人生やばいなーと思ったのが、20歳になったばかりの時です。

はじめての旅

人生やばいなーなにか熱中できるものがないかなと思っていた時、たまたま手にとった本が”高橋歩”さんの本。

”放浪しちゃえば?”

その時、意識低い人だったので、バックパッカーて言葉も知らないし、タイの場所も知らないし、ワーキングホリデーも知らない。

英語喋れないとかじゃないくて単語が全然わからない。 英語が一番キライな科目。

高橋歩さんの本を読んで、こんな生き方もあるんだって知って、いいなー!すごいなー!
けど俺には旅なんて怖いし、違う国行きたいとかも思ったことなかったからなにも知らない。行けないかなーとビビってた。

正直マジで他の国のことなんかなにも知らなかったし、日本以外は危ないところって思ってた。w

友達の女の子から一言言われたんですね。”ビビってるの?w 私カンボジア行ってきたよ”

どこ?カンボジア?って感じで。とりあえずじゃあ行ってみよう!

と思ってパスポートをとりにいったその日に、HISに入って来週いけるカンボジアのチケットを買ったのが
旅の始まり!!大学生3回生の6月。

初めての旅は カンボジア ベトナム で2週間。

初めて一人で海外に行く!その飛行機で怖くて泣きそうになって、生きて帰れるかなと本気に心配になって、足が震えたことを覚えてるw

今思えばしょぼいけど、あのときは2週間で大大大冒険。

この2週間初めてのバックパッカーで旅に取り憑かれてしまって、2ヶ月後の夏休みにその時の彼女に借金して、タイ、ラオスの1ヶ月旅に!

旅ページ参考に!

タイ、ラオスの旅で僕の中で衝撃だったのが、僕は全く英語が話せないから、基本的に外国人とのコミュニケーションが取れなくて、仲良くなれない。日本人なんてみんな英語話せないと思ってたら、そこで仲良くなった日本人Aさんが英語ペラペラ。世界中の人と友達になって、僕も混ぜてもらったけど、理解出来ない。話せない。

”誰にも相手にされない。皆世界の若い人達は基本英語話せるのに、僕だけ話せないから外国人から相手にされない。無視状態”

まあ今思うと当たり前やねんけど、その時は衝撃的に悔しかったし、俺の方が絶対英語話せたらおもろいやろ?大阪人やで。。。けどなにもわからない。

この日の悔しさ。俺達の大阪ジョークって世界でも通用するんか?っていう疑問。世界の人も大阪人おもろいって言ってくれるのかという挑戦。

これはやらなければいけない。まずは英語から勉強しないと。。。そう思った日がラオスであって、旅の途中で出会った人に英語の勉強はフィリピンが安い!ワーキングホリデーはお金持ってなくても現地で働けるという情報を聞いて日本に帰ってまた旅に行きたくなる。。。

就職活動より旅へ

タイ、ラオスから帰ってきて、大学生3回生10月。そろそろ皆が就職活動を始めだす!

親の教育は”皆と一緒が一番正しい”という呪いみたいな教育方針に洗脳されていた僕は、僕も迷いながらも、クソみたいなリクルートスーツを買って、就職活動を始める。

大学生の時、ほとんどの友達はこのタイミングで就職活動をしていたし、それが当たり前って雰囲気やった。ほとんどの人が僕と同じ呪いにかかっていたんだなーと今考えるとぞっとする。

結婚もしてなくて、子供もいないなら、お金必要ないから、無理に就職する必要なんか全然なかったと思うし、もっと色んな選択肢あるはずなのに、なんで必死に就職活動しないといけないのか今だにわからないw

まあ就職活動ははじめたものの、仕事するなんかホンマに嫌で、アルバイト20個も経験してどれも楽しくなかったから。
仕事はしたくない。

旅に出たい。そんな気持ちを抑えきれなくなり、就職活動は中止して、大学生4回を休学して、1年間旅に出ることを決めた!

問題はお金。お金がない。というかその時の彼女に借金があった。まずはそれを返済。

その後お金を貯める。12月から3月末までお金をためて、4月に出発。
そんな計画で、3ヶ月間フィリピン留学してからオーストラリアにワーキングホリデー!!

ワーキングホリデー

大学生4回生になるタイミングで1年間の休学。

英語習得するために意気揚々とセブに3ヶ月!!

セブの語学学校では3ヶ月徹底的に英語の勉強せずに、徹底的に遊んでしまう。。。

自分でもびっくりするくらい初めての海外生活と物価のやすさにやられ、セブの雰囲気に飲まれてしまい、毎日飲みにクラブに遊び授業は適当。それでも毎日英語を使う生活のおかげて少しだけ話せるようになったが、英語でジョークを言って外国人の人と話せるレベルまでは到底およばず。

しかもなけなしのお金をほぼ全て使ってしまって、オーストラリアについた時は残り10万円を切ってるレベル。

その後なんとかワーキングホリデーを1年間オーストラリアで終えて、英語は話せるようになり、お金も100万円程度は貯めれたので、もう1年休学して、アジアの旅にでた!!

1年間ワーキングホリデーでの学びは大きく、1つ目は英語を話せるようになったこと、2つ目は海外で仕事をしたことで、どこでも生きていける自信がついたこと、3つ目は自由に生きていてもいいという実感をもらえたこと。

そして大阪人はどこいっても通用するレベルの笑いを持っているということ!!
僕は世界中の人と一緒に飲んでもいつでもどこでも話の中心で笑いを取ることできます!!

そしてこの得た技術がこの後の仕事で一番使えるものになる!!!

大阪の人は笑いに自信を持ってください!ワールドクラスだと思います!!w

ワーキングホリデーページ詳しくはこちら!

アジア旅半年

アジア旅を見てね!

英語が話せて、ある程度お金のある状態だったので、この旅はめちゃくちゃ楽しかった。
世界中の人と友達になり、世界中の人と一緒に旅をして、毎日エキサイティングな日々を過ごす。

インドネシア→マレーシア→タイ→ミャンマー→スリランカ→インド→日本

このルートを6ヶ月かけて周り、最後はインドで高熱に下痢でうんちを漏らして、心が折れて日本のうどんが食べたくてしかなくなっって日本に帰る決意をする。

世界一周目指していたのに、うんち漏らして帰るってなんか悲しかったけど、一回帰れと神に言われている気がすごいした。。。w

ベンチャー企業に就職

日本に帰ってきて、大学をやめようと思っていたが、お金を今までかけていたこともあり、最後1年間行く意思決定を行うが、もう友達も皆社会人なので暇すぎて、就職活動を行ってみることにする。

世界一周の続きを大学卒業したらしようと思っていたので、またクソみたいなリクルートスーツに身にまとい、会社説明会に参加する日々は私にとってあまりにも退屈で働くことにわくわくする会社には出会えないと思っていた時に、出会ったのが株式会社Freeplus。

株式会社Freeplusは大阪発インバウンド旅行のベンチャー企業。

まだその時はインバウンド事業を初めて2年目か3年目くらいで、10人もメンバーがいない状態だったけど、社長は世界企業を目指す!と言っていて会社説明会で超ワクワクしたのを覚えてる。

しかも事業内容は海外からのインバウンド旅行。

旅よりここで今働く方がワクワクする!そんな思いを感じその日にエントリーし、次の週にはもう内定を頂いて、働きはじめました。

普通の企業はどうかわからないのですが、ベンチャー企業で働くことは私にとってスーパーエキサイティングな毎日でした。

入社して3ヶ月で海外出張1ヶ月などチャレンジジングな仕事に、日々チャパオーバー状態の中で仲間とともに夢に向かって1歩ずつ歩いている感覚はとても楽しくて、最高でした。

毎日夜遅くまで仲間と一緒に仕事して、ぶつかりあって、励まし合って、一緒に寝て起きて、一緒に御飯を食べて、過ごした時間は私にとって宝物です。

Freeplusのメンバーは今でも繋がってるし、大好きです。
嫁も会社で出会って結婚しました。w

いつのまにか社長は1番尊敬できて、憧れの人になっていました。

3年間で辞めましたが、Freeplusに入ってなかったら、自分で会社を作ろうとかも思ってなかったかもしれないし、仕事が楽しいということを知らなかったかもしれないです。

起業

会社を辞めて起業しようと思ったのは、はじめ嫁が会社を辞めて暇だったので、まだ民泊が始まったころに何件か部屋を借りて民泊を始めたところから始まります。

起業したい!とか思ったこともなく、自分でなにか出来ると思ったことも一度もなかった人生で、適当にはたらいて、旅でもたまに出来たらいいなーと人生を完全にずっと諦めて生きてきてました。

そんな時に嫁が民泊を始めて、爆発的に予約が入り、50万円もなかった2人の貯金が一気に1年ちょっとで何百万円になったときに、旅していた時に思い描いてた夢。自分のゲストハウスを作るというものを叶えるチャンスだ!と感じた次の日に会社に辞めると伝えました。

物件も見つかってないし、お金も全然足りなかったけど、今やれば絶対に成功する。そんな思いを民泊を行ったことで確信になっていました。

会社を5月30日付けで辞めて、6月6日に会社を登記し、物件を探しだし、12月15日オープンしました。

【ゲストハウスオープンするまでの道】詳しくはこちらを見てね。

ここからゲストハウスの運営を夫婦でスタートです。

子供が出来る

夫婦でビジネスパートーナーとしてスタートしたゲストハウス。

オープンして1ヶ月で妊娠!!

正直焦りました。

ゲストハウスの運営は家族経営だからこそ儲かるものだと思っていたので、もう家族経営も出来ないし、次の店舗も考えていたけど、私一人で運営しないといけない!そんな状況になり、ここから2年間子育てとゲストハウスの運営に翻弄します。

現在

現在ゲストハウスの運営を初めて2年近くたちました。

Funtoco Backpackers Namba は1000件以上のレビューがあり、9.2と驚異の高レビュー。

一生懸命運営した実績を作っています。

当初はゲストハウスの運営を全国規模で行おうと思ったのですが、ゲストハウスが大阪だけでもこの1年間で2倍以上に増え、供給多々で民泊を始めた時の値段と比べると単価は3分の1まで下がっています。

この状況でまた借金をして新しいゲストハウスを大阪で作って勝負していくことは正しいのか迷っています。

そして今子育てに一段落し、次の事業展開を考えている段階です。

今まで自分ではなにも出来ないと思っていた私も少し自信をつけて、新しい事業に挑戦したい。もっとエキサイティングに人生にチャレンジしてみたい。

そんな子供のような感覚でいます。

アホでどうしようもない私がここからどんな風に生きていくのか。

発信して、自分に勇気をつけたい。

本当にダメダメな僕が人生を本当の意味で自由に楽しく生きていいけるのか。

失敗も全てさらけだして、勇気を欲しい!!w

そして誰かが勇気をもらえたらいいなと思ってブログはじめます。